目標はK点にしかすぎない

このブログ、うんちく投稿を2023年中に50件投稿!
たけもと農場の認知度向上、お米の消費拡大を目的に掲げた目標です(^-^)

そういえば、ボクは目標を立てると、その倍をイメージすることが多いです。

目標の倍をイメージ。50件目標なら100件を見据える

目標を設定した時は、その倍を見据えるようにしてます。年間50件目標なら、年間100件を実は狙っている、みたいな感覚。

50件を目標に据えたのは、「週にいっぺんくらいののんびりペースで到達できるな」という、
◯低めにしておいて
◯なんならスタート時点のアツい時期に半分以上終われせられる
を想定して、数を決めました。んで、週にいっぺんづつ更新とはせずに、最初にスタートダッシュする。
アドバンテージをつけると、精神的に安定するんですよねボクの場合。

倍の方を最初から目標にすると挫けそう

「じゃ、最初から100件を目標にすりゃいいじゃん!」となるんですが、なんか違うんだよな〜と思ってます。本質を言うと、「50件とか100件書けばOK」ではなく、「記事を書き続ける習慣にしたい。そのための50件100件」だと思ってるので、
◯それなりに達成感を覚えつつ
◯書かねば!というより書こう!という意欲に繋がる
そんなモチベーションの持っていき方が良い気がしてます。
100件を最初から目標にすると、
◯動き出しがおっくうになりがち
◯道のり遠い…てなる
◯到達できると、達成感が高すぎて、「もういいや!」になりかねん
となるかな、と。
達成する喜びを育むのではなく、書き続けられるという実感の喜びを育みたいってカンジ。もしくは、シャワーを浴びるかのように書く、書かないとスッキリしないかのような感覚にしたいね。

「ここからは自分との戦い〜」が好き

かつてのバラエティ番組「筋肉番付」で、ぶっちぎりの優勝をする人がいた。もう競う相手がいなくなっても、その人は記録のために一人、黙々と競技を続ける時、「ここからは自分との戦い」とよく表現されていた。あの感覚が結構好きで、
◯競う相手いないのでもうプレッシャーからは解放されている
◯「やらねば」というよりも「やりたい」の思いでできる
低いゴール設定にすることで、早めに到達し、そこからは「ここからは自分との戦い」という古舘伊知郎ナレーションを脳内再生しながら、ボーナスステージかのように軽やかにいきたい節があるのかもしれない。

目標はK点にしかすぎない

目標を達成した途端「ぶはー、疲れた。もういいや。」にならず、書き続けた結果、書く習慣がつくようにしたい。そんな思いで目標を捉えているので、感覚としてはスキージャンプの「K点」に近い存在だと思っている。目印になるラインが引いてあり、K点を超えたかどうかを素人目にも皆関心にしますよね。
K点は、かつては限界値みたいな立ち位置だったそうです。超えるべき点というより、そこを目指せという点。
次第に超える選手が出始め、現在では基準点という捉えられ方。そう、基準なんですよ基準。

目標を定めるとPDCAが回しやすい

「目標を設定するとそれに捉われるのでよくない」と言う人もいるし、ボクも数値目標ってものに抵抗があるんだけど、目標を設定しそこに向かうことで、
◯目的を再認識する
◯やり方について再考できる
プラン→ドゥー→チェック→アクションのPDCAサイクルを回すためにも、目標を設定することは大事。
Twitterでインプレッションを20万に設定したんだけど、それをやることで
◯認知を広めるための効果は多少はあった
◯一投稿あたりの歩留まりをよくする必要がある(つまり良いツイートせねば!)
◯毎日ツイートすることが効果あるなフムフム
と言うのが、はっきりした。漫然とツイートするのとは、変わった気がする。
PDCAサイクルを回すことはすごく大事で、ちっちゃい仮説を検証し続けることで、工夫が生まれ、その積み重ねが後々大きくなる。周りを見ても、すごい人は、そういうのをサボらない。